百日天下とその後

ナポレオン失脚後、ウィーン会議が開かれて欧州をどのようにするかが話し合われていたが、「会議は踊る、されど進まず」の言葉が示すように各国の利害が絡んで会議は遅々として進まなかった。

さらに、フランス王に即位したルイ18世の政治が民衆の不満を買っていた。

1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻って復位を成し遂げる。

ナポレオンは自由主義的な新憲法を発布し、自身に批判的な勢力との妥協を試みた。

そして、連合国に講和を提案したが拒否され、結局戦争へと進んでいく。しかし、緒戦では勝利したもののイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗してナポレオンの復位は幕を閉じることとなる。

ナポレオンは再び退位に追い込まれ、アメリカへの亡命も考えたが港の封鎖により断念、最終的にイギリスの軍艦に投降した。

彼の処遇をめぐってイギリス政府はウェリントン公の提案を採用し、ナポレオンを大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉した。

ナポレオンはごく少数の随行者とともに島中央のロングウッドの屋敷で生活した。

その屋敷の周囲には多くの歩哨が立ち、ナポレオンの行動を監視した。
update:2010年02月25日